「基礎データ」 | 現在ご覧いただいているページで、本作品の基礎的な情報や凡例、画像利用の申請方法について記載しています。 | |
「画像」 | 本作品の全図について、カラー画像・X線透過画像・反射近赤外線画像・透過近赤外線画像・蛍光画像を詳細にご覧いただくことができます。また特徴的な部分について、上記の5画像を比較し、画像から読み取れる情報について解説しています。 また全図については、任意の2画像を選択して、並べて比較しながらご覧いただくことができます。 |
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「蛍光X線分析」 | 彩色材料等の蛍光X線分析の結果のスペクトルグラフを、測定ポイントの画像とともにご覧いただくことができます。報告書では限られたポイントしかお示しすることができませんでしたが、本ウエブサイトでは測定した全ポイントを掲載いたしました。 | |
「関連資料」 | 本作品に関する文献一覧。このうち、報告書所載の報文については、PDFファイルを閲覧していただくこともできます。 |
[指定名称] | 絹本著色十一面観音像 | |
[員数] | 1幅 | |
[品質] | 絹本著色 | |
[形状] | 掛幅装 | |
[法量] | 縦168.7cm×横89.7cm | |
[制作年代] | 平安時代(12世紀) | |
[銘文] | 上巻絹墨記「歡喜天御本地 十一面觀世音菩薩像 爲悉地成就奉修覆者也 文政四辛巳歳四月 法起寺現住 比丘寶叡所持」 | |
[指定] | 国宝(1994年6月28日) | |
[所蔵] | 奈良国立博物館 |
作品の来歴 本図は、表装外題部分に書かれた修理銘から江戸時代文政4年(1821)には法起寺に所在していたことがわかる。昭和3年(1928)4月22日に益田孝の御殿山邸で行われた『第三回碧雲臺展観』図録解説では、もともと大和竜田の伝燈寺にあり竜田新宮の本地仏であったが、その後法起寺の所有に帰したとあるものの、修理銘に記された文政4年以前の本図の伝来については裏付けとなる資料は現在のところ見当たらない。『自叙益田孝翁伝』によると、法起寺にぼろぼろの状態で所蔵されていた本図を明治初期にフェノロサが入手しようとしていたところ、先に井上馨が手に入れ、井上家の所蔵に帰した。その後、明治38年(1905)2月に益田孝が井上馨より譲り受け、第二次世界大戦に至るまで益田家の愛蔵品であったことが知られている。その後、益田太郎家から昭和22年(1947)10月に流出し、日野原節三の手元に渡ったのは不明な点が多いが昭和24、5年(1949~50)頃とされる。
平成4年(1992年6月22日)に重要文化財に指定され、6年(1994年6月28日)には国宝に格上げされるとともに国の所有に帰した。平成8年9月17日文化庁より管理換えをし、現在奈良国立博物館に所蔵される。 |